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イースターとは何か:その意味と出来事を知る

イースターは、キリスト教における最も重要な祝日であり、イエス・キリストの復活を記念する日です。日本では、イースターに関心を持つ人が増えつつありますが、その本当の意味や歴史についてはまだ多くの人に知られていません。イースターの背景やその意味、そして私たちの人生にどのように関わるのかをお伝えします。

イースターの背景と歴史

イースターは、英語では「Easter」と呼ばれますが、日本語では「復活祭」とも呼ばれます。これは、イエス・キリストが十字架にかけられた後、3日目に死からよみがえった出来事を記念するものです。この出来事は、新約聖書の福音書に記されています。

1. イースターがいつ祝われるのか

イースターの日付は毎年変動しますが、これは春分の日以降の最初の満月の次の日曜日に設定されているためです。この計算方法は、古代の教会で決められたものですが、背景には自然界の移り変わりを反映したユダヤ教の過越祭(ペサハ)が関係しています。イエスが十字架につけられたのは過越祭の期間中であったとされており、イースターもその文脈の中で祝われるようになりました。

2. イースターの出来事

イースターの中心となる出来事は、新約聖書に記された「イエス・キリストの受難と復活」です。この出来事は以下のように展開します。

(1) 十字架の死

イエス・キリストは私たち人間の罪を贖うために十字架にかけられました。聖書によれば、「罪の支払う報酬は死です」(ローマ6:23)とありますが、イエスはその罰を私たちに代わって受けられたのです。

(2) 死と埋葬

イエスの遺体は弟子たちによって石の墓に葬られました。当時、イエスの弟子たちは希望を失い、恐れに満たされていました。しかし、これで物語が終わったわけではありませんでした。

(3) 復活

3日目の早朝、イエスが葬られた墓が空になっているのを、女性たちが発見しました。そして、イエスが死からよみがえったことを確認した弟子たちは、その後、復活したイエスに出会い、世界中にこの良い知らせを伝え始めました。

復活の出来事は、イエスが神の御子であり、罪と死に対する勝利者であることを示す決定的な証拠です。この出来事があるからこそ、キリスト教は希望の信仰であり続けています。

3. イースターの象徴と習慣

イースターにはいくつかの象徴的なものがありますが、それらには深い意味が込められています。

(1) 卵

イースターエッグは、新しい命の象徴です。卵が生命の誕生を意味するように、イエスの復活は新しい命と希望をもたらすものとされています。

(2) うさぎ

イースターバニーもよく見られる象徴ですが、うさぎは繁殖力の象徴として、新しい命や豊かさを表します。これらはイースター本来の意味を伝えるものではありませんが、現代では多くの文化で親しまれるようになりました。

(3) 礼拝

教会では、イースターの日に特別な礼拝が行われます。賛美歌や祈りを通じて、イエスの復活を喜び、感謝する時間です。

4. イースターの持つ意味

イースターは、ただの宗教的なイベントではなく、私たちにとっても深い意味を持っています。それは「希望」と「新しい始まり」を象徴しています。

(1) 希望のメッセージ

イエスが死を打ち破られたように、私たちも人生の苦しみや困難を乗り越える力を神から与えられます。どんなに暗い状況にあっても、復活の出来事は私たちに希望を与えます。

(2) 新しい始まり

イースターは、神の恵みによる新しい人生のスタートを意味します。聖書には、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく創造された者です」(コリント第二5:17)と書かれています。過去の失敗や罪に縛られる必要はなく、神の愛の中で新しい人生を歩むことができるのです。

5. 日本におけるイースターの広がり

日本では、イースターという言葉は徐々に知られるようになってきましたが、多くの場合は卵やうさぎなどの商業的なイメージが先行しています。しかし、イースターの本質は「復活」と「希望」にあります。この真実を伝えることは、福音を知らせる重要な機会となるでしょう。

イースターのメッセージは、すべての人に向けられたものです。イエス・キリストは、あなたを愛し、あなたの人生に希望をもたらしたいと願っています。今年のイースターには、ぜひ教会に足を運び、この素晴らしい祝福を共に味わいましょう。私たちの教会では、イースター特別礼拝を行い、復活の喜びを皆さんと分かち合いたいと願っています。

聖書の学びを通して人生と人間関係を豊かにする

聖書を学ぶことは、人生の意味を見つけ、神様との関係を深める大切な機会です。しかし、それだけでなく、聖書の教えは私たちの日常生活や人間関係においても大きな影響を与えます。聖書を通じて、愛と思いやり、赦しを学ぶことで、家族、友人、同僚との関係がより深まり、心豊かな人生を歩むことができます。

例えば、イエス・キリストの言葉に、「何事でも人々からしてほしいと望むことを、そのとおり人々にもせよ」(マタイ7:12)という教えがあります。これは「黄金律」とも呼ばれる言葉で、他者を思いやる心の基本です。この教えを実践することで、互いに信頼し合える関係が築かれるのです。また、「柔らかな答えは憤りを沈める」(箴言15:1)という言葉も、日常生活の中で争いを避け、平和を保つ知恵を与えてくれます。

私たちの教会では、聖書の勉強会を通じてこれらの教えを学び、実生活に活かす方法を一緒に探っています。たとえば、家族関係で問題がある方には、「愛は寛容であり、親切です。愛はねたみません。愛は高ぶりません」(第一コリント13:4)というパウロの教えが役立つでしょう。私たちは、愛がただ感情ではなく、具体的な行動によって示されるべきだと学びます。これを家庭内で実践することで、家族の絆が強まります。

また、職場や学校での人間関係で疲れている方には、「互いに忍び合い、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」(コロサイ3:13)という言葉が希望を与えてくれます。失敗や誤解があっても、赦しの心を持つことで、関係が修復され、新たなスタートを切ることができます。

私たちは、聖書の教えを単に読むだけではなく、実際の生活にどう適用できるかを皆で考えます。たとえば、「思いやり」について学ぶ際には、良きサマリア人のたとえ(ルカ10:25-37)を通じて、困っている人に手を差し伸べる具体的な方法を探ることができます。このたとえ話は、文化や背景が異なる人々との関係にも思いやりを示す大切さを教えています。

聖書の学びは、神様の愛と知恵に触れる機会であり、同時に他者を愛することを学ぶ旅路でもあります。そして、こうした学びを通じて私たち自身が変えられ、より良い影響を周囲に与えることができるのです。

たとえば、私たちの勉強会に参加された方の中には、長年ぎくしゃくしていた家族関係が改善されたという方もいらっしゃいます。その方は、「愛は多くの罪をおおう」(第一ペテロ4:8)という言葉を心に留め、相手を批判するのではなく、愛を持って接することを心がけた結果、家族の間に平和が訪れたと証ししてくださいました。

私たちの教会の聖書勉強会は、初めての方にもわかりやすく進められます。専門的な知識は必要ありません。リラックスした雰囲気の中で、自由に質問したり、自分の考えをシェアしたりすることができます。そして、何よりも大切なのは、聖書のメッセージがあなたの人生に新しい光を当ててくれることを体験することです。

ぜひ、私たちと一緒に聖書を学びませんか?神様の愛と希望に触れると同時に、日々の生活や人間関係が変わっていく喜びを感じられるはずです。

人生がうまくいかないとき、聖書が教えてくれること

人生は、時に困難で、行き詰まりを感じる瞬間があります。仕事や人間関係の問題、心の空虚さや孤独感――私たちはそれぞれ違う悩みを抱えています。そんな中で、「どうして自分ばかりが…」と考えてしまうこともあるでしょう。

しかし、聖書は、人生がどんなに混乱しているように見えても、神の愛と導きが確かにあると教えています。

人生の問題に対する聖書の答え
聖書は、単なる宗教書ではありません。それは私たちの日々の生活や人生の深い問いに答えを与える、生きた神の言葉です。

1. 神はあなたを愛しておられる
困難な時、私たちは自分の価値や存在意義を見失いがちです。しかし、聖書ははっきりとこう語ります。「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」(ヨハネ3:16)。この言葉は、あなたがどんな状況にあっても、神があなたを深く愛していることを示しています。

私たちは失敗や過去の過ちに縛られることが多いですが、神はそんな私たちを無条件で愛し、受け入れてくださいます。この神の愛を知ることが、人生の荒波を乗り越える第一歩となります。

2. 人生には目的がある
「なぜ自分の人生はこんなにも無意味に感じるのか」と悩んでいる方もいるかもしれません。しかし、聖書は私たち一人ひとりに神が計画を持っていると語っています。「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っている。それはわざわいではなく、平安を与える計画であり…」(エレミヤ29:11)。

人生の苦難は決して無駄ではありません。神の計画の中で、それぞれの出来事が目的を持っていることを信じる時、私たちは新たな希望を見出すことができます。

3. 変わる力が与えられる
「自分はもう変われない」と思う瞬間はありませんか?でも、聖書は、神が新しい人生を与えてくださると約束しています。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく創造された者です」(2コリント5:17)。神は、過去に縛られた人生を切り開き、新しいスタートを与えてくださるのです。

聖書の学びがもたらす変化

心に平安が与えられる
聖書の言葉は、心に慰めと平安をもたらします。例えば、詩篇23篇は「主は私の羊飼い、私は乏しいことがありません」と語り、神が私たちの必要を満たし、導いてくださることを示しています。

新たな視点が得られる
聖書を通して、私たちは人生を神の視点で見ることを学びます。神の視点は、私たちの短期的な視点とは異なり、永遠に続く希望と目的を示します。

信じる力が育まれる
聖書を学び、神の約束を知ることで、困難な状況に直面しても揺るがない信仰が育まれます。「すべてのことがらを働かせて益としてくださる」(ローマ8:28)という神の約束を信じる時、私たちは苦難の中にも希望を持つことができます。

人生の困難に立ち向かう力を見つけたいと感じた時、それは神があなたに語りかけているサインかもしれません。私たちの教会では、聖書の学びを通じて、神の愛と導きを知るお手伝いをしています。初めての方も安心して参加できる環境を整えていますので、どうぞお気軽にお越しください。

人生がうまくいかないと感じる時、聖書は確かな希望と道しるべを与えてくれます。それは決して一時的な慰めではなく、永遠に変わらない神の約束に基づくものです。これを読んでくださったあなたが、神の愛と平安を知り、新しい一歩を踏み出せるよう願っています。

シティバプテスト教会が信じていること⑩天国と地獄

天国と地獄について

人生の終わりを考えたことはありますか?私たちが信じる聖書は、死後にも人生が続き、その先には「天国」と「地獄」という二つの行き先があると教えています。それぞれの場所は、私たちの選択によって決まるものです。

天国とは?
天国は、神様が用意された特別な場所で、愛と喜び、平和に満ちています。そこでは涙や悲しみ、苦しみが一切なく、神と共に永遠を過ごすことができます(黙示録21:4)。天国は、神様が私たち一人ひとりを大切に思い、永遠に共に過ごしたいと願っておられる場所です。

しかし天国に行くには、ただ良い行いをするだけでは足りません。聖書によれば、私たち全員が罪を持っており、その罪が神と私たちの間に壁を作っているからです(ローマ3:23)。この壁を取り除くために神はイエス・キリストを送り、十字架で私たちの罪を贖うという最高の愛を示してくださいました。このイエス・キリストを信じることが、天国への道となります(ヨハネ14:6)。

地獄とは?
地獄は、神様から完全に離れてしまう場所です。そこには愛や喜びはなく、永遠の苦しみがあると聖書は教えています(マタイ25:46)。神様は私たちを地獄に送りたいとは思っていません。それどころか、すべての人が神の愛を知り、天国で永遠を過ごすことを望んでおられます(ペテロ第二3:9)。しかし、神様の招きに応えるかどうかは、私たち一人ひとりの自由な選択に委ねられています。

死後の行き先はいつ決まるの?
私たちが死ぬと、魂は肉体から離れます。信仰を持ってイエス・キリストを受け入れた人の魂はすぐに天国へ行き、永遠の祝福に預かります。一方で、神の愛を拒否した人の魂は地獄へ行くことになります(ヨハネ5:28-29)。最終的には、すべての人が復活し、それぞれが神の前で評価されると聖書は教えています。

神様の裁きと報い
天国に行った人々も、その生涯での行いや神への忠実さに基づいて報いを受けるとされています(コリント第二5:10)。これは罰ではなく、私たちが地上でどのように生きたかを神様が評価し、それに応じた恵みを与えるという形です。

なぜこの教えが大切なのか?
天国と地獄の教えは、人生の意味や目的を教えてくれます。私たちは偶然に存在しているわけではなく、神様の愛によって生かされています。そして、神様は私たちに永遠の命という最高の贈り物を用意されています。この贈り物を受け取るかどうかは、あなたの選択によっています。

最後に
私たちが信じているのは、神様の愛がすべての人に届き、希望を持って生きることができるということです。もし神様や天国、地獄についてもっと知りたいと思われたら、ぜひ教会にお越しください。一緒に聖書を読み、人生の疑問について考えるお手伝いをしたいと思っています。あなたがこのメッセージを通じて少しでも神様の愛を感じられたなら幸いです。

シティバプテスト教会が信じること⑨教会

教会とはどんな場所でしょうか

私たちが信じる「教会」とは、ただの建物や集会所のことではありません。教会は、イエス・キリストを信じる人々が集まり、共に神を礼拝し、学び合い、支え合う家族のような存在です。

教会のメンバーとは?
教会のメンバーは、イエス・キリストを救い主と信じ、その信仰を告白した人たちです。この信仰の印として「バプテスマ(洗礼)」を受けた人が集まって、教会を形作ります。洗礼は、神に従う決意を示す重要な儀式です。

教会が大切にしていること
私たちの教会は、新約聖書に書かれた教えを大切にしています。この聖書の教えを土台に、次のような活動を行っています。

礼拝
神に感謝し、祈り、賛美をささげる特別な時間を持ちます。礼拝は神様と心を通わせる時間です。

学びと成長
聖書を学びながら、お互いに助け合い、人生の中で神様の教えを実践していくことを目指しています。年齢や背景を問わず、誰でも成長することができます。

支え合い
教会は、家族のように互いを支え合う場所です。人生の喜びや悩みを分かち合いながら、共に歩んでいきます。

世界への良い知らせ
私たちは、イエス・キリストを通じた神の愛を伝えることを使命としています。この愛は、誰にとっても希望となるものです。

教会の仕組み
私たちの教会には、神様への奉仕を導く「牧師」と、実際の運営を支える「執事」という役割があります。このようにして教会は、自律的に運営されています。

教会の目的
教会の最も大切な目的は、イエス・キリストを信じる人々が共に神を礼拝し、成長しながら、神の愛を世界に広めることです。

旧約聖書のイスラエルとの違い
聖書には、旧約時代の「イスラエル」という神の民の物語が記されています。しかし、私たちの教会はそれとは異なり、イエス・キリストを中心に据えた新しい共同体です。この教会は、キリストが直接導く家族のような存在です。

シティバプテスト教会が信じること⑧信者の確信

信者の確信とは
私たちの教会が大切にしている信仰の一つに「信者の確信」という考え方があります。これは、イエス・キリストを救い主として信じる人に、神が永遠の保証を与えてくださるというものです。この確信は、単なる気持ちや希望ではなく、神が約束してくださった確かな事実に基づいています。

確信の根拠:イエス・キリストの完成された働き
信者の確信は、イエス・キリストが十字架で成し遂げてくださった救いの働きに基づいています。イエスは、私たちの罪を赦し、神との関係を回復するために、自らの命を捧げました。この十字架の犠牲とその後の復活によって、救いの計画は完全に成し遂げられたのです。

この働きは私たち自身の努力や行いに依存するものではありません。そのため、信者の救いは揺るがないものとして保証されています。ヨハネの福音書10章27-28節では、イエスがこう語られています:
「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。わたしもその人たちを知っています。そしてその人たちはわたしについてきます。わたしは彼らに永遠の命を与えます。」

この約束は、信じる者が永遠に神のものとして守られるという確信を与えます。

確信の特性:感情や状況に左右されない
私たちは時に、自分の感情や状況に影響を受けて不安を感じることがあります。人生の中で困難や失敗を経験すると、「本当に救われているのだろうか」と疑うこともあるでしょう。しかし、信者の確信は、私たちの感情や努力に基づいていません。それは、神の変わらない約束に基づいているのです。

たとえば、ローマ8章38-39節ではこう書かれています:
「死も命も、御使いたちも権威ある者たちも、現在のものも将来のものも、力ある者たちも、高さも深さも、その他のどんな被造物も、私たちを私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から引き離すことはできません。」

この言葉は、どんな状況や感情に左右されることなく、神の愛が常に変わらず私たちに注がれていることを保証しています。

確信の意味:安心と希望
信者の確信は、私たちに安心感と希望をもたらします。私たちは、神が私たちを見捨てることなく、いつもそばにいてくださることを知っています。この確信があるからこそ、私たちは困難な状況にあっても希望を持ち続けることができます。

たとえば、嵐の中にいる船が頑丈な錨に支えられているように、信者は神の約束という「錨」によって人生の嵐の中でもしっかりと支えられています。この錨があることで、私たちは恐れや不安から解放されるのです。

神の所有物として守られる
信者の確信はまた、私たちが神の「所有物」として永遠に守られているという事実に基づいています。1コリント6章19節では、私たちは「聖霊の住まい」と呼ばれています。聖霊は、イエスを信じる者の中に住み、私たちを神のものとして印を押してくださいます。この印は、私たちが決して神から切り離されることがないことを示しています。

この守られているという事実は、どんな過去や失敗にも関わらず、神が私たちを愛し続けておられるという安心感をもたらします。

確信を得るには?
この信者の確信を得るためには、まずイエス・キリストを信じることが必要です。信じるとは、イエスが私たちの罪を赦し、永遠の命を与える救い主であると受け入れることです。そして、その信仰を通して、神の約束が私たちに適用されます。

もしイエスを信じるなら、あなたもこの永遠の確信を得ることができます。それは、神の変わらない愛と守りに基づく確かな希望です。

招き
もし、人生に不安や迷いを感じているなら、ぜひこの信者の確信について考えてみてください。イエス・キリストを信じることで、あなたも神からの揺るぎない愛と守りを体験することができます。聖書を読み、神に祈りをささげることで、神の約束がどれほど確かなものであるかを知ることができるでしょう。

教会では、この信者の確信についてさらに深く学び、分かち合う機会を提供しています。ぜひ私たちと一緒に、神の愛と救いの計画を探求してみませんか?

シティバプテスト教会が信じること⑦救いの無償の賜物

救いとは何か?
聖書が教える「救い」とは、罪の影響から解放され、神と和解し、永遠の命を得ることを指します。この救いは、私たちが自分の力で得るものではなく、神からの「無償の賜物(プレゼント)」です。

救いが必要な理由
聖書は、すべての人が罪を犯していると教えています。罪とは、神の基準に反すること、または神から離れた生き方のことです。たとえば、自己中心的な態度、他人を傷つける言葉や行動、不正直さなどはすべて罪の例です。この罪が原因で、私たちは心の中に虚しさや罪悪感を抱えることがあり、最終的には神から永遠に離れる結果をもたらします。

しかし、神は私たちを愛しており、私たちがこの状態に留まることを望んでおられません。そこで、神は私たちが救いを受ける方法を用意してくださいました。

救いはどのように与えられるのか?
救いは、イエス・キリストを通して与えられます。イエスは、私たちの罪の罰を代わりに背負い、十字架で死なれました。これは、私たちが自分で支払うことのできない「罪の代価」を、イエスが身代わりとなって支払ったということです。そして、イエスは三日後に復活され、死と罪に対する勝利を示されました。

イエスが成し遂げたこの救いの働きは、すべての人に提供されています。つまり、私たち一人ひとりに対して、「この救いをあなたに差し上げます」という神からの招待状が送られているようなものです。

救いは無償の賜物
救いの特別な点は、それが「無償の賜物(プレゼント)」であることです。普通の贈り物を受け取るとき、私たちは何かを支払ったり、特別な行動をしたりする必要はありません。同じように、救いも神からの純粋な愛によって与えられた贈り物であり、私たちの努力や善行で獲得するものではありません。

エペソ書2章8-9節にはこう書かれています:
「あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。」

つまり、救いは神の愛と恵みによって与えられたものであり、私たちがそのために何かを成し遂げる必要はありません。

救いを受け取るには?
無償のプレゼントでも、手を伸ばして受け取る必要があります。同じように、救いを受け取るためには、イエス・キリストを信じることが必要です。信じるとは、イエスが自分の罪のために死んでくださり、復活された救い主であると受け入れることです。

たとえば、ヨハネ3章16節ではこう語られています:
「神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

この信仰によって、私たちは神との関係を回復し、永遠の命という素晴らしい祝福を受けることができます。

救いを拒否する選択
救いはすべての人に提供されていますが、誰もがそれを受け取るわけではありません。なぜなら、一部の人々は福音(イエス・キリストの良い知らせ)を拒むからです。たとえば、「自分には救いが必要ない」「自分の力で十分に善い人生を送れる」という考えを持つ人がいます。

しかし、聖書は明確に、「罪人が救われない唯一の理由は、福音を拒むことだ」と教えています。神は私たちに自由意志を与えてくださっています。そのため、私たちは神の救いの招待に応じるかどうかを選ぶ責任があります。

救いの祝福
救いを受け取った人には、次のような素晴らしい祝福が与えられます:

①永遠の命
神と共に永遠に生きる約束が与えられます。これにより、死の恐れが取り除かれます。

②罪の赦し
過去のすべての罪が赦され、神の前で清らかな状態にされます。

③神との親しい関係
神を「父」と呼ぶことができ、人生のどんな瞬間も神の助けと導きを受けることができます。

招き
もし、あなたがこの救いの無償の賜物に興味を持たれたなら、ぜひイエス・キリストに心を開いてください。神はあなたを愛しており、あなたがこの贈り物を受け取るのを待っておられます。イエスを信じることで、人生に新しい希望と目的が与えられるでしょう。

救いの賜物を受け取ることを検討してみてください。そして、もし質問や疑問があれば、ぜひ私たちに相談してください。