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シティバプテスト教会が信じること⑨教会

教会とはどんな場所でしょうか

私たちが信じる「教会」とは、ただの建物や集会所のことではありません。教会は、イエス・キリストを信じる人々が集まり、共に神を礼拝し、学び合い、支え合う家族のような存在です。

教会のメンバーとは?
教会のメンバーは、イエス・キリストを救い主と信じ、その信仰を告白した人たちです。この信仰の印として「バプテスマ(洗礼)」を受けた人が集まって、教会を形作ります。洗礼は、神に従う決意を示す重要な儀式です。

教会が大切にしていること
私たちの教会は、新約聖書に書かれた教えを大切にしています。この聖書の教えを土台に、次のような活動を行っています。

礼拝
神に感謝し、祈り、賛美をささげる特別な時間を持ちます。礼拝は神様と心を通わせる時間です。

学びと成長
聖書を学びながら、お互いに助け合い、人生の中で神様の教えを実践していくことを目指しています。年齢や背景を問わず、誰でも成長することができます。

支え合い
教会は、家族のように互いを支え合う場所です。人生の喜びや悩みを分かち合いながら、共に歩んでいきます。

世界への良い知らせ
私たちは、イエス・キリストを通じた神の愛を伝えることを使命としています。この愛は、誰にとっても希望となるものです。

教会の仕組み
私たちの教会には、神様への奉仕を導く「牧師」と、実際の運営を支える「執事」という役割があります。このようにして教会は、自律的に運営されています。

教会の目的
教会の最も大切な目的は、イエス・キリストを信じる人々が共に神を礼拝し、成長しながら、神の愛を世界に広めることです。

旧約聖書のイスラエルとの違い
聖書には、旧約時代の「イスラエル」という神の民の物語が記されています。しかし、私たちの教会はそれとは異なり、イエス・キリストを中心に据えた新しい共同体です。この教会は、キリストが直接導く家族のような存在です。

シティバプテスト教会が信じること⑧信者の確信

信者の確信とは
私たちの教会が大切にしている信仰の一つに「信者の確信」という考え方があります。これは、イエス・キリストを救い主として信じる人に、神が永遠の保証を与えてくださるというものです。この確信は、単なる気持ちや希望ではなく、神が約束してくださった確かな事実に基づいています。

確信の根拠:イエス・キリストの完成された働き
信者の確信は、イエス・キリストが十字架で成し遂げてくださった救いの働きに基づいています。イエスは、私たちの罪を赦し、神との関係を回復するために、自らの命を捧げました。この十字架の犠牲とその後の復活によって、救いの計画は完全に成し遂げられたのです。

この働きは私たち自身の努力や行いに依存するものではありません。そのため、信者の救いは揺るがないものとして保証されています。ヨハネの福音書10章27-28節では、イエスがこう語られています:
「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。わたしもその人たちを知っています。そしてその人たちはわたしについてきます。わたしは彼らに永遠の命を与えます。」

この約束は、信じる者が永遠に神のものとして守られるという確信を与えます。

確信の特性:感情や状況に左右されない
私たちは時に、自分の感情や状況に影響を受けて不安を感じることがあります。人生の中で困難や失敗を経験すると、「本当に救われているのだろうか」と疑うこともあるでしょう。しかし、信者の確信は、私たちの感情や努力に基づいていません。それは、神の変わらない約束に基づいているのです。

たとえば、ローマ8章38-39節ではこう書かれています:
「死も命も、御使いたちも権威ある者たちも、現在のものも将来のものも、力ある者たちも、高さも深さも、その他のどんな被造物も、私たちを私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から引き離すことはできません。」

この言葉は、どんな状況や感情に左右されることなく、神の愛が常に変わらず私たちに注がれていることを保証しています。

確信の意味:安心と希望
信者の確信は、私たちに安心感と希望をもたらします。私たちは、神が私たちを見捨てることなく、いつもそばにいてくださることを知っています。この確信があるからこそ、私たちは困難な状況にあっても希望を持ち続けることができます。

たとえば、嵐の中にいる船が頑丈な錨に支えられているように、信者は神の約束という「錨」によって人生の嵐の中でもしっかりと支えられています。この錨があることで、私たちは恐れや不安から解放されるのです。

神の所有物として守られる
信者の確信はまた、私たちが神の「所有物」として永遠に守られているという事実に基づいています。1コリント6章19節では、私たちは「聖霊の住まい」と呼ばれています。聖霊は、イエスを信じる者の中に住み、私たちを神のものとして印を押してくださいます。この印は、私たちが決して神から切り離されることがないことを示しています。

この守られているという事実は、どんな過去や失敗にも関わらず、神が私たちを愛し続けておられるという安心感をもたらします。

確信を得るには?
この信者の確信を得るためには、まずイエス・キリストを信じることが必要です。信じるとは、イエスが私たちの罪を赦し、永遠の命を与える救い主であると受け入れることです。そして、その信仰を通して、神の約束が私たちに適用されます。

もしイエスを信じるなら、あなたもこの永遠の確信を得ることができます。それは、神の変わらない愛と守りに基づく確かな希望です。

招き
もし、人生に不安や迷いを感じているなら、ぜひこの信者の確信について考えてみてください。イエス・キリストを信じることで、あなたも神からの揺るぎない愛と守りを体験することができます。聖書を読み、神に祈りをささげることで、神の約束がどれほど確かなものであるかを知ることができるでしょう。

教会では、この信者の確信についてさらに深く学び、分かち合う機会を提供しています。ぜひ私たちと一緒に、神の愛と救いの計画を探求してみませんか?

シティバプテスト教会が信じること⑦救いの無償の賜物

救いとは何か?
聖書が教える「救い」とは、罪の影響から解放され、神と和解し、永遠の命を得ることを指します。この救いは、私たちが自分の力で得るものではなく、神からの「無償の賜物(プレゼント)」です。

救いが必要な理由
聖書は、すべての人が罪を犯していると教えています。罪とは、神の基準に反すること、または神から離れた生き方のことです。たとえば、自己中心的な態度、他人を傷つける言葉や行動、不正直さなどはすべて罪の例です。この罪が原因で、私たちは心の中に虚しさや罪悪感を抱えることがあり、最終的には神から永遠に離れる結果をもたらします。

しかし、神は私たちを愛しており、私たちがこの状態に留まることを望んでおられません。そこで、神は私たちが救いを受ける方法を用意してくださいました。

救いはどのように与えられるのか?
救いは、イエス・キリストを通して与えられます。イエスは、私たちの罪の罰を代わりに背負い、十字架で死なれました。これは、私たちが自分で支払うことのできない「罪の代価」を、イエスが身代わりとなって支払ったということです。そして、イエスは三日後に復活され、死と罪に対する勝利を示されました。

イエスが成し遂げたこの救いの働きは、すべての人に提供されています。つまり、私たち一人ひとりに対して、「この救いをあなたに差し上げます」という神からの招待状が送られているようなものです。

救いは無償の賜物
救いの特別な点は、それが「無償の賜物(プレゼント)」であることです。普通の贈り物を受け取るとき、私たちは何かを支払ったり、特別な行動をしたりする必要はありません。同じように、救いも神からの純粋な愛によって与えられた贈り物であり、私たちの努力や善行で獲得するものではありません。

エペソ書2章8-9節にはこう書かれています:
「あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。」

つまり、救いは神の愛と恵みによって与えられたものであり、私たちがそのために何かを成し遂げる必要はありません。

救いを受け取るには?
無償のプレゼントでも、手を伸ばして受け取る必要があります。同じように、救いを受け取るためには、イエス・キリストを信じることが必要です。信じるとは、イエスが自分の罪のために死んでくださり、復活された救い主であると受け入れることです。

たとえば、ヨハネ3章16節ではこう語られています:
「神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

この信仰によって、私たちは神との関係を回復し、永遠の命という素晴らしい祝福を受けることができます。

救いを拒否する選択
救いはすべての人に提供されていますが、誰もがそれを受け取るわけではありません。なぜなら、一部の人々は福音(イエス・キリストの良い知らせ)を拒むからです。たとえば、「自分には救いが必要ない」「自分の力で十分に善い人生を送れる」という考えを持つ人がいます。

しかし、聖書は明確に、「罪人が救われない唯一の理由は、福音を拒むことだ」と教えています。神は私たちに自由意志を与えてくださっています。そのため、私たちは神の救いの招待に応じるかどうかを選ぶ責任があります。

救いの祝福
救いを受け取った人には、次のような素晴らしい祝福が与えられます:

①永遠の命
神と共に永遠に生きる約束が与えられます。これにより、死の恐れが取り除かれます。

②罪の赦し
過去のすべての罪が赦され、神の前で清らかな状態にされます。

③神との親しい関係
神を「父」と呼ぶことができ、人生のどんな瞬間も神の助けと導きを受けることができます。

招き
もし、あなたがこの救いの無償の賜物に興味を持たれたなら、ぜひイエス・キリストに心を開いてください。神はあなたを愛しており、あなたがこの贈り物を受け取るのを待っておられます。イエスを信じることで、人生に新しい希望と目的が与えられるでしょう。

救いの賜物を受け取ることを検討してみてください。そして、もし質問や疑問があれば、ぜひ私たちに相談してください。

シティバプテスト教会が信じること⑥罪人の救い

救いとは何ですか?
「救い」という言葉を聞いたとき、どのようなイメージを持つでしょうか。溺れている人が助けられる場面や、危機から抜け出すことを想像するかもしれません。聖書でいう「救い」とは、私たちが罪という問題から解放され、神との新しい関係に入ることを意味します。

なぜ救いが必要なのか?
聖書は、すべての人が罪を持っていると教えています。罪とは、神の基準や意志に反することです。それは私たちの行いや言葉、そして心の中の思いに現れます。たとえば、怒りや嫉妬、他人を傷つける言葉や行動などです。罪は私たちを神から遠ざけ、心に虚しさや罪悪感をもたらします。

さらに、罪には大きな結果があります。それは神との断絶です。神は完全に聖なるお方なので、罪をそのまま受け入れることはできません。この断絶を解決しなければ、私たちは永遠に神から離れることになります。この問題を解決するために神が提供してくださったのが「救い」です。

救いの道:イエス・キリスト
聖書は、イエス・キリストが唯一の救いの道であると教えています。イエスは、私たちが神と和解し、永遠の命を得るために来られました。彼は完全な神でありながら、完全な人としてこの世に生まれ、罪のない人生を送りました。そして、私たちの罪の罰を代わりに背負い、十字架で命を捧げられたのです。

イエスの十字架の死は、罪を赦すための完全な代償でした。彼が流された血は、私たちの罪を清め、神との関係を回復するための唯一の手段です。そして、イエスは三日後に復活されました。これによって、彼が本当に神の子であり、死や罪に対する勝利者であることが証明されました。

救いは恵みの賜物
救いは神の「恵み」によるものです。これは、私たちが何か特別な努力や善行をすることで得られるものではなく、神からの無償の贈り物です。たとえば、誕生日プレゼントをもらうとき、それは努力や成績に基づく報酬ではありません。同じように、救いも神が愛によって私たちに与えてくださるものなのです。

エペソ書2章8-9節にはこう書かれています。「あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」つまり、救いは人間の行いによるものではなく、神を信じる信仰によって受け取ることができます。

救いの結果
イエスを信じて救いを受け取ると、私たちの人生は根本から変えられます。その結果、以下のような祝福が与えられます:

①永遠の命
神と共に永遠に生きる約束が与えられます。この命は死を超えたものであり、私たちに確かな希望を与えます。

②新しいアイデンティティ
私たちは神の家族の一員となり、神の子どもとしての身分が与えられます。この新しいアイデンティティは、私たちに安心感と目的をもたらします。

③内面的な変化
聖霊(神の霊)が私たちの中に住み、人生の困難に立ち向かう力を与えてくださいます。また、心の中に平安と喜びが増し加えられます。

唯一の道:イエスを信じること
救いを得るためには、イエス・キリストを信じることが必要です。信じるとは、イエスが自分の罪のために死んでくださり、復活された救い主であると受け入れることです。これは単なる知識ではなく、心からの信頼と委ねる行為です。

使徒行伝16章31節には、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」とあります。この信仰によって、私たちは罪から解放され、神との新しい関係を始めることができます。

招き
もし、あなたが自分の罪に気づき、救いを求めているなら、今日がその第一歩を踏み出すときです。イエス・キリストに心を開き、神の愛と赦しを受け入れてください。

シティバプテスト教会が信じること⑤人の堕落

私たちと神の関係の始まり
聖書は、私たち人間が特別な存在として神に創造されたと教えています。私たちは神のかたちに似せて作られ、愛され、大切にされています。この「神のかたち」とは、神と交わりを持つ能力、正しさや善を求める心、そして自由に選ぶ意志を指します。しかし、私たちの心と行動には、深い問題があるのを感じることはないでしょうか?それが「人の堕落」と呼ばれるものです。

堕落とは何か?
堕落とは、簡単に言えば、神が与えてくださった完璧な状態を失ったことを意味します。最初の人であるアダムとエバは、神のルールに従う自由と責任を与えられていました。しかし、彼らは自分の欲望に従い、神の意志に反して罪を選びました。その結果、彼らは神との親しい関係を失い、罪と死がこの世界に入ってきたのです。

罪とは何か?
罪とは、神の意志や基準から外れることです。これは単に大きな悪事を指すだけではなく、私たちが神を無視したり、自分中心に生きたりすることも含まれます。たとえば、自己中心的な行動、他者を傷つける言葉、心の中の嫉妬や怒りなど、私たちの日常生活の中に罪の形が見られます。このような罪のために、私たちは神との関係を失い、自分自身も周囲の人々とも深いところで分裂を感じるようになりました。

罪の結果とは?
聖書は、罪がもたらす最も深刻な結果として、神との断絶を挙げています。神は完全に聖なるお方であるため、罪をそのまま受け入れることはできません。この断絶の結果、私たちは心の中で不安や虚しさ、希望の喪失を経験します。また、罪の究極的な結果は「永遠の裁き」であり、神から永遠に離れることを意味します。これは厳しい現実ですが、聖書は私たちがこの状態から救われるための希望についても語っています。

堕落は普遍的な問題
聖書は、「すべての人は罪を犯した」(ローマ3:23)と教えています。この罪の性質は、私たちが生まれながらに持っているもので、意識せずとも行動や考えの中に現れます。たとえば、幼い子どもでさえ、自分勝手な行動を取ることがあります。このような性質は、私たち全員が持つ普遍的な問題であり、それが私たちを神から遠ざけています。

なぜこの問題が重要なのか?
罪の問題を無視することは、人生の根本的な問題に向き合わないことになります。私たちはしばしば、自分の力で問題を解決しようとしますが、どれだけ努力しても、心の深い空虚感や罪悪感から完全に自由になることはできません。それは、罪の根本的な解決が神との関係の回復にあるからです。

希望のメッセージ
堕落は私たちの現状を説明するものですが、神は私たちをそのまま見捨てることはありません。むしろ、神は私たちを深く愛しており、私たちが再び神との関係を回復できるようにしてくださいました。その解決策がイエス・キリストです。イエスは私たちの罪の罰を代わりに背負い、十字架で死んでくださいました。そして、彼の復活によって、私たちは新しい命を得ることができる希望が与えられました。

招き
もし、自分の中に罪の問題や心の空虚感を感じているなら、ぜひイエス・キリストの救いのメッセージを考えてみてください。神はあなたを愛しており、どんな過去や失敗があっても、あなたを受け入れ、新しい人生を与えたいと願っています。聖書を読み、祈りを通して神に語りかけることで、その愛と希望を体験する第一歩を踏み出せるかもしれません。

シティバプテスト教会が信じること④聖霊の人格

聖霊とはどのような存在か
私たちは、聖霊を「神が私たちと共にいて働かれる存在」として信じています。聖霊は目には見えませんが、神の愛と力を私たちに直接感じさせ、私たちを導く存在です。聖書では、聖霊が「三位一体」の一部であると教えています。これは、父なる神、子であるイエス・キリスト、そして聖霊が、それぞれ異なる役割を持ちながらも、完全に一つの神であるという意味です。

聖霊の役割
聖霊には、私たちの人生におけるさまざまな重要な役割があります。それをいくつか紹介します。

①私たちに真実を教える
聖霊は、神がどのようなお方であるか、そして私たちがどう生きるべきかを教えてくださいます。特に、聖書を読むときに聖霊はその言葉の意味を私たちにわかりやすく示し、深い気づきを与えてくれます。

②心を新しくする
私たちは皆、時に過ちを犯しますが、聖霊はそのような私たちを新しい心に作り変え、神との関係を始める助けをしてくださいます。これは「再生」と呼ばれるプロセスで、私たちの内側から新しいスタートを与えるものです。

③助けと力を与える
聖霊は、私たちが困難に直面するときに力を与えてくれる存在です。たとえば、大きな試練や問題に直面したとき、聖霊は私たちに平安を与え、どのように行動すべきかを示してくれます。

④道を示すガイド
人生には多くの選択肢がありますが、聖霊は私たちに正しい方向を示す「ガイド」として働いてくださいます。特に、私たちが迷いや不安を抱えているとき、聖霊の導きは非常に心強いものです。

信じる人の中に住む聖霊
聖霊は、イエス・キリストを信じた人の中に住むと信じられています。このことを「内住」といいます。聖霊はただ外側から助けてくれるだけではなく、私たちの心の中にいて、常に支え、励まし、導いてくれます。

聖霊が与える賜物
聖霊は、私たちが他の人を助けたり、神に仕えたりするための特別な「賜物」を与えてくれます。これらの賜物は、人それぞれ異なり、歌や演奏、教える能力、他者を助ける心など、さまざまです。この賜物を通じて、私たちは神の愛を広める働きに参加できます。

聖霊の働きと注意点
私たちは、聖霊の働きが必ずしも派手な奇跡や特別な体験に限られるものではないと信じています。たとえば、異言(特別な言語で話すこと)や特定の現象を、聖霊の唯一のしるしとする考え方には慎重です。むしろ、聖霊の働きは、私たちがイエス・キリストの教えに従って生き、愛と平和を広める日常の行動に現れます。

不信者に対する聖霊の働き
聖霊は、神をまだ知らない人々にも働きかけています。聖霊は、私たちが自分の間違いや罪に気づき、より良い生き方を求めるよう促します。これは、神が私たち一人ひとりを愛し、どんな状況にある人でも新しい人生を歩むチャンスを与えたいと願っているからです。

聖霊の目的:イエス・キリストを指し示す
聖霊の最大の目的は、イエス・キリストを私たちに示すことです。聖霊は、私たちがイエスの愛と救いの真実を理解し、それを受け入れるよう導いてくれます。聖霊自身が注目されることを求めるのではなく、私たちがイエスを信じ、彼の教えに従う助けをするのです。

聖霊を知ることの意味
聖霊を知ることは、神とより深い関係を築く第一歩です。聖霊は、私たちの心に平安と喜びを与え、人生の中で直面する困難を乗り越える力を与えてくれます。また、聖霊を通じて、私たちは神の愛と計画をより深く理解することができます。

シティバプテスト教会が信じること③父なる神の人格

イエス・キリストとは
イエス・キリストはキリスト教の中心にいる人物であり、私たちはイエス・キリストを「神が人となったお方」と信じています。イエス・キリストの人生はただの歴史的な物語ではなく、私たち一人ひとりに関わる深い意味を持っています。ここでは、イエスの特別さとその役割について説明します。

特別な誕生
イエス・キリストは他のどんな人とも違う方法でこの世に来られました。聖書は、彼が処女マリアから奇跡的に生まれたと教えています。これは、彼が単なる人間ではなく、神が人間として現れた存在であることを示しています。この出来事は、彼が最初から特別な目的を持ってこの世に来られたことを象徴しています。

完全な神であり、完全な人
イエス・キリストは「完全な神」であると同時に「完全な人」でした。彼は神としての力と知恵を持ちながら、私たちと同じように空腹を覚えたり、悲しみを感じたりする存在でした。これによって、彼は私たちの苦しみや喜びを深く理解することができました。彼の人間らしさは、私たちが神に対して親しみを感じる助けとなります。

罪のない生涯
多くの人間は罪や過ちを犯しますが、イエス・キリストだけは例外でした。彼は一度も罪を犯すことなく生きられました。これが重要なのは、彼が私たちの代わりに罪を背負うために、完全に清らかである必要があったからです。彼の罪のない生涯は、私たちが神の前で罪から清められる希望をもたらします。

十字架の意味
イエス・キリストは十字架の上で死なれましたが、それは単なる処刑ではありませんでした。聖書によれば、イエス・キリストの死は私たちの罪を贖うためのものでした。私たちは誰でも間違いや罪を犯しますが、イエス・キリストはその罪の罰を代わりに受けてくださったのです。彼の死は、神と私たちを和解させるための橋となりました。

復活の力
十字架で死なれた後、イエスは三日目によみがえられました。この出来事は、死が終わりではないことを示しています。イエス・キリストの復活は、神の力と約束の成就を証明するものです。また、私たちにも永遠の命という希望をもたらします。これは、絶望の中にいる人々に新しい始まりを告げるメッセージでもあります。

天に昇り、再び来られる約束
イエス・キリストは復活後、弟子たちと会い、彼らに神の愛と救いを伝え続けるよう命じた後、天に昇られました。しかし、それで終わりではありません。イエス・キリストは再び戻ってくると約束されています。彼が再び来られるとき、この世界のすべてが新しくされ、完全な平和と正義がもたらされると信じられています。

イエス・キリストが今もしていること
イエス・キリストは、今も私たち一人ひとりのことを気にかけ、助けたいと願っています。祈りを通してイエス・キリストに語りかけることで、私たちはイエス・キリストとつながることができます。イエス・キリストは私たちの弱さを理解し、人生の困難を乗り越える力と希望を与えてくださいます。

イエス・キリストを知る意味
イエス・キリストを知ることは、人生の目的や希望を見つけることにつながります。彼の生涯は、愛、赦し、そして救いを中心に据えています。彼が私たち一人ひとりを愛し、その愛を行動で示してくださったことを知るとき、私たちの人生もまた変えられるのです。

もしイエス・キリストについてもっと知りたいと思われるなら、ぜひ聖書を読んでみてください。特に、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという福音書には、イエスの生涯や教えが詳しく記されています。また、私たちの教会では、イエス・キリストのことを一緒に学び、分かち合う場を提供しています。質問や疑問を持っておられる方も大歓迎です。

シティバプテスト教会が信じること②父なる神の人格

神とはどのようなお方か
私たちは、神がこの世界の創造者であり、すべての存在の源であると信じています。神は完全であり、永遠であり、至高のお方です。この神について理解する上で、特に「父なる神」という考え方が重要です。これは、神がどれほど私たちを愛し、気にかけてくださっているかを表しています。

三位一体とは
聖書が教えている神は、「三位一体」という独特な性質を持っています。これは、神が「父」「子(イエス・キリスト)」「聖霊」という三つの異なる存在として現れながらも、本質的には一つであることを指します。例えるなら、水が液体、氷、蒸気として異なる形をとるけれども本質は水であるように、三位一体の神も一つの神でありながら異なる形で働かれます。

父なる神の特性
父なる神は単なる力やエネルギーではありません。人格を持ったお方です。そのため、私たちは神に話しかけたり、神との関係を築いたりすることができます。以下は、父なる神の主な特性です:

①愛にあふれている
神は愛そのものであり、私たち一人ひとりを深く愛しています。この愛は私たちが失敗しても変わることがありません。

②全知である
神はすべてのことを知っています。私たちの過去、現在、未来、そして心の中の思いまでを理解しています。

③全能である
神には不可能なことがありません。この世界を創り、私たちを支え、生きる力を与えてくださいます。

④変わることがない
神はいつでも同じです。私たちが変わりやすく、不安定な時でも、神は常に信頼できる存在です。

⑤完全で聖なるお方
神は完全に正しく、清らかです。この特性により、私たちを罪や悪から守り、真実へと導いてくださいます。

父なる神と私たちの関係
父なる神は、すべての被造物の創造者であり、世界の全てを保っておられます。しかし、それだけではありません。神は、私たちと個人的な関係を持つことを願っています。聖書では、神が「父」と呼ばれる理由の一つとして、その愛が強調されています。父親が子どもを気遣い、守り、導くように、神も私たち一人ひとりを見守っておられます。

神とこの世界の違い
神はこの世界を創造されたお方なので、世界そのものとは異なります。このことを「被造物と創造主の区別」と呼びます。しかし、神は私たちから遠く離れているわけではありません。むしろ、どこにでもおられ、いつでも私たちに耳を傾け、助けてくださる存在です。

どうすれば神を知ることができるのか
父なる神は、ご自身のことを私たちに示してくださいます。この自己啓示は、主に以下の方法で行われます:

①自然を通じて
美しい景色や夜空を見て、私たちは神の存在を感じることができます。

②聖書を通じて
聖書は、神の性質や計画を私たちに教える書物です。

③イエス・キリストを通じて
神は人間としてこの世界に来られました。それがイエス・キリストです。イエスの生涯と教えは、神がどのようなお方であるかを私たちに示しています。

私たちへのメッセージ
父なる神は、私たちをただの存在として見るのではなく、大切な存在として見ています。そのため、私たちが神と良い関係を築き、永遠の命を受け取ることを望んでおられます。

シティバプテスト教会が信じること①聖書の霊感

私たちは、聖書がただの古い本や歴史的な記録ではなく、神ご自身が人類に与えた特別なメッセージだと信じています。この特別な性質を「聖書の霊感」と呼んでいます。これは、聖書が人間の知恵や想像ではなく、神が人々を通して語った言葉であるという考えを指しています。

どうやって書かれたのか
聖書は何百年もの間、多くの異なる人々によって書かれました。ある人は預言者、ある人は王、またある人は漁師や学者でした。しかし、私たちはそのすべての文章が神の導きによって書かれたと信じています。人間の著者はそれぞれの個性や語彙を用いましたが、神が彼らを導いて書く内容を選ばせたため、最終的には神の意図が完全に表現されているのです。

聖書が特別な理由
聖書の内容は、神と人間の関係について深く語っています。世界の創造から始まり、私たちがどのように神との関係を失い、そして神がその関係を回復するためにどのような計画を持っているのかが書かれています。その中心にあるのが、神の子イエス・キリストの物語です。聖書は神の愛と救いの計画を明らかにし、私たちがどのように生きるべきかを教えてくれます。

信頼できる理由
私たちは聖書に誤りがないと信じています。それは、神が完璧なお方であり、矛盾や間違いのないメッセージを私たちに伝えることができるからです。この信頼性は、歴史的な証拠や預言が実現した事実にも裏付けられています。また、聖書の教えは何千年もの間、人々の人生を変え続けてきました。

どうして重要なのか
聖書はただの教訓を与える本ではありません。私たちの人生の道しるべであり、真理そのものです。それは、私たちがどう生きるべきか、どのようにして神と良い関係を持つかを教えてくれる唯一の基準です。聖書を通して、私たちは神がどれほど私たちを愛しているかを知り、その愛に応えていく方法を学びます。

誰にでも開かれている
聖書は特定の人たちのためだけに書かれたものではありません。すべての人に向けた神からのメッセージです。どんな背景や人生経験を持つ人でも、聖書を読むことで神との関係を深めることができます。

聖書を読んでみませんか
もし興味があるなら、ぜひ聖書を手に取ってみてください。読む中でわからないことや質問が出てくるかもしれませんが、それは良いことです。一緒に聖書を学び、神がどのようなお方であるかを探求するお手伝いをしたいと思います。

シティバプテスト教会が信じること

シティバプテスト教会が信じていること

■聖書の霊感
私たちは聖書が神の言葉として逐語的に霊感を受けたものであると信じます。旧約・新約聖書の書物は神から吹き込まれ、言葉そのものも人間の著者の語彙から神が選ばれたため、聖書は神の言葉そのものであり、すべての主張と教えにおいて誤りがありません。そのため、聖書は教義と生活において唯一無謬の権威です。ゆえに、これは神から人への特別な啓示であり、真のキリスト教の唯一の基盤です。(2テモテ3:16-17; マタイ5:18; 使徒1:16; マルコ12:36; 2ペテロ1:19-21; ヘブル4:12; ヨハネ10:35; 16:12,13; 17:17)

■父なる神の人格
私たちは、神がその存在において至高であり、永遠であり、完全であると信じます。また、三位一体を信じます。すなわち、父、子、聖霊という三つの位格が神格において一つであり、それぞれが力と栄光において等しいお方です。神は人格を持ち、霊であり、全知、全能、完全、不変、永遠、聖、愛、知恵、そして力を有しています。神は世界の創造主としてこの世と絶対的に区別されますが、万物の維持者として全地に遍在しています。神は自己存在であり、被造物との関係において自己啓示されます。(創世記1:1; マタイ28:19; 申命記4:35; 6:4; 1コリント8:6; ヨハネ1:1-3; ローマ1:2-4; エペソ4:3-6)

■イエス・キリストの人格
私たちは、キリストの処女降誕、神性、罪なき生涯、贖いの十字架、肉体の復活と昇天、そして個人的かつ前千年王国的再臨を信じます。主イエス・キリストは三位一体の第二の位格であり、神が肉体をとられた存在であり、他の人と異なるかたちで処女から生まれました。彼は完全に罪なき生活を送り、十字架上で人の罪のために代償として死ぬことで罪人の代わりとなりました。イエス・キリストは三日目に死からよみがえり、贖罪の完全な成就と神の義怒の満足を保証しました。彼は肉体を持って天に昇り、聖徒を迎えに戻られます。その再臨は差し迫っており、個人的で、患難時代の前に、そして千年王国の前に起こるものとなります。(イザヤ7:14; マタイ1:18; ヨハネ1:1; 14:3; 1テサロニケ4:16; ルカ1:35; 1ペテロ2:22; 3:18)

■聖霊の人格
私たちは、聖霊が三位一体の実行者であり、神の救いの計画を実現されると信じます。キリスト者は聖霊を分かち合い、聖霊によって奉仕の力を得ます。聖霊は人格であり、神のすべての属性を備えています。聖霊は罪と義、裁きについて不信者に悟らせ、信者を再生し、封印し、内住し、満たし、奉仕のための賜物を授けます。また、信者に教え、聖なる生き方に導きます。私たちは聖書が、カリスマ運動のような経験主義的な異言やエキュメニズムの実践を聖霊の働きとして否定していると信じます。聖霊の証は自分自身ではなく、イエス・キリストとキリスト中心の贖罪の真理です。(ヨハネ14:16,17; 16:8; 1コリント3:16; 使徒5:3,4; エペソ1:13,14; ローマ8:9)

■人の堕落
人は神のかたちに創造されましたが、自らの選択によって罪と死に陥りました。そのため、すべての人は罪深く、永遠の裁きに定められています。人は神の直接の行為により神のかたちに創造されましたが、神の明示された意志に背いたため、その地位を失い、堕落しました。その結果、すべての人が本質的にも選択的にも罪深く、神の義から遠く離れています。したがって、全ての人は神の命と家族から疎外され、無実を主張することができず、神の正しい裁きと怒りを受け、救済の手段を持ちません。(創世記1:27; ローマ3:23; 5:12-19; イザヤ53:6; エペソ2:1-3)

■罪人の救い
罪人の救いは完全に恵みによるものであり、イエス・キリストが唯一の救いの道であると信じます。救いは恵みを通じて十字架でのキリストの完成された働きに基づいています。救いは神の無償の賜物であり、人のいかなる美徳や行いによっても獲得されるものではなく、主イエス・キリストに対する個人的な信仰を通じてのみ受け取られます。すべての真の信者は、永遠の命、義の状態、新生による神の家族への息子の地位という賜物を今持っています。キリストの十字架は救いであり、身代わりであり、宥めるものであり、すべての失われた人々の唯一の和解の基盤です。イエス・キリストと彼の流された血以外に救いはあり得ないと信じます。(ヨハネ3:3-6, 16; 10:28-29; 使徒16:31; エペソ2:8-10; 1テモテ2:5,6; 1ペテロ1:18-23)

■救いの無償の賜物
救いの祝福は福音によって無償で提供されており、罪人が救われない唯一の理由は、人間自身の堕落と福音の自発的な拒絶です。救いはイエス・キリストによって十字架で成し遂げられ、すべての人に無償の賜物として信仰によって受け取られます。すべての人はキリストにおける救いの賜物を受ける責任がありますが、神の御霊による福音の提示に応答する者のみが救われます。(ヨハネ1:12; 3:16; 5:24; 12:46; 使徒16:31; ローマ10:11-13)

■信者の確信
イエス・キリストを救い主として受け入れた者は永遠に確信が与えられます。この確信はイエス・キリストの完成された働きに基づいており、真の信者は神の所有物として永遠に守られます。信者の確信は状況や感情の経験や強さに依存せず、神によって受け入れられた和解の基盤を受け入れることに基づきます。(ヨハネ10:27-30; 1ヨハネ2:1-2; ローマ8:31-34, 38-39; 1コリント6:19; ヘブル2:10)

■教会
目に見える教会は、バプテスマ(洗礼)を受けた信者の集まりであり、新約聖書の原則を実践し、教義を信じ、儀式を遵守し、自律を行使します。地方教会は、信仰告白に基づいてバプテスマを受けた信者の組織体であり、二つの職(牧師と執事)を認め、自治を保ち、働き、礼拝、相互の成長、儀式の遵守、福音の世界的な宣教を目的としています。教会は旧約のイスラエルとは異なり、キリストを頭とする自律的なものです。(マタイ28:19-20; エペソ1:22,23; 使徒2:41-47; エペソ4:11-13; 1コリント12)

■天国と地獄
私たちは、救われた者の天国における永遠の祝福と、滅びた者の地獄における永遠の罰を信じます。救われた者と滅びた者の体の復活を信じ、救われた者の霊は死後すぐにキリストと共に天国に行きます。彼らの行いはキリストの裁きの座で評価され、報酬が与えられます。滅びた者の霊は死後すぐにハデスに下り、最終的に白い大きな御座の裁きで火の池に投げ込まれ、永遠の罰を受けます。(ヨハネ5:28,29; 14:2; 黙示録20:14,15; 21:4; マタイ25:46)