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シティバプテスト教会が信じること⑤人の堕落

私たちと神の関係の始まり
聖書は、私たち人間が特別な存在として神に創造されたと教えています。私たちは神のかたちに似せて作られ、愛され、大切にされています。この「神のかたち」とは、神と交わりを持つ能力、正しさや善を求める心、そして自由に選ぶ意志を指します。しかし、私たちの心と行動には、深い問題があるのを感じることはないでしょうか?それが「人の堕落」と呼ばれるものです。

堕落とは何か?
堕落とは、簡単に言えば、神が与えてくださった完璧な状態を失ったことを意味します。最初の人であるアダムとエバは、神のルールに従う自由と責任を与えられていました。しかし、彼らは自分の欲望に従い、神の意志に反して罪を選びました。その結果、彼らは神との親しい関係を失い、罪と死がこの世界に入ってきたのです。

罪とは何か?
罪とは、神の意志や基準から外れることです。これは単に大きな悪事を指すだけではなく、私たちが神を無視したり、自分中心に生きたりすることも含まれます。たとえば、自己中心的な行動、他者を傷つける言葉、心の中の嫉妬や怒りなど、私たちの日常生活の中に罪の形が見られます。このような罪のために、私たちは神との関係を失い、自分自身も周囲の人々とも深いところで分裂を感じるようになりました。

罪の結果とは?
聖書は、罪がもたらす最も深刻な結果として、神との断絶を挙げています。神は完全に聖なるお方であるため、罪をそのまま受け入れることはできません。この断絶の結果、私たちは心の中で不安や虚しさ、希望の喪失を経験します。また、罪の究極的な結果は「永遠の裁き」であり、神から永遠に離れることを意味します。これは厳しい現実ですが、聖書は私たちがこの状態から救われるための希望についても語っています。

堕落は普遍的な問題
聖書は、「すべての人は罪を犯した」(ローマ3:23)と教えています。この罪の性質は、私たちが生まれながらに持っているもので、意識せずとも行動や考えの中に現れます。たとえば、幼い子どもでさえ、自分勝手な行動を取ることがあります。このような性質は、私たち全員が持つ普遍的な問題であり、それが私たちを神から遠ざけています。

なぜこの問題が重要なのか?
罪の問題を無視することは、人生の根本的な問題に向き合わないことになります。私たちはしばしば、自分の力で問題を解決しようとしますが、どれだけ努力しても、心の深い空虚感や罪悪感から完全に自由になることはできません。それは、罪の根本的な解決が神との関係の回復にあるからです。

希望のメッセージ
堕落は私たちの現状を説明するものですが、神は私たちをそのまま見捨てることはありません。むしろ、神は私たちを深く愛しており、私たちが再び神との関係を回復できるようにしてくださいました。その解決策がイエス・キリストです。イエスは私たちの罪の罰を代わりに背負い、十字架で死んでくださいました。そして、彼の復活によって、私たちは新しい命を得ることができる希望が与えられました。

招き
もし、自分の中に罪の問題や心の空虚感を感じているなら、ぜひイエス・キリストの救いのメッセージを考えてみてください。神はあなたを愛しており、どんな過去や失敗があっても、あなたを受け入れ、新しい人生を与えたいと願っています。聖書を読み、祈りを通して神に語りかけることで、その愛と希望を体験する第一歩を踏み出せるかもしれません。

シティバプテスト教会が信じること④聖霊の人格

聖霊とはどのような存在か
私たちは、聖霊を「神が私たちと共にいて働かれる存在」として信じています。聖霊は目には見えませんが、神の愛と力を私たちに直接感じさせ、私たちを導く存在です。聖書では、聖霊が「三位一体」の一部であると教えています。これは、父なる神、子であるイエス・キリスト、そして聖霊が、それぞれ異なる役割を持ちながらも、完全に一つの神であるという意味です。

聖霊の役割
聖霊には、私たちの人生におけるさまざまな重要な役割があります。それをいくつか紹介します。

①私たちに真実を教える
聖霊は、神がどのようなお方であるか、そして私たちがどう生きるべきかを教えてくださいます。特に、聖書を読むときに聖霊はその言葉の意味を私たちにわかりやすく示し、深い気づきを与えてくれます。

②心を新しくする
私たちは皆、時に過ちを犯しますが、聖霊はそのような私たちを新しい心に作り変え、神との関係を始める助けをしてくださいます。これは「再生」と呼ばれるプロセスで、私たちの内側から新しいスタートを与えるものです。

③助けと力を与える
聖霊は、私たちが困難に直面するときに力を与えてくれる存在です。たとえば、大きな試練や問題に直面したとき、聖霊は私たちに平安を与え、どのように行動すべきかを示してくれます。

④道を示すガイド
人生には多くの選択肢がありますが、聖霊は私たちに正しい方向を示す「ガイド」として働いてくださいます。特に、私たちが迷いや不安を抱えているとき、聖霊の導きは非常に心強いものです。

信じる人の中に住む聖霊
聖霊は、イエス・キリストを信じた人の中に住むと信じられています。このことを「内住」といいます。聖霊はただ外側から助けてくれるだけではなく、私たちの心の中にいて、常に支え、励まし、導いてくれます。

聖霊が与える賜物
聖霊は、私たちが他の人を助けたり、神に仕えたりするための特別な「賜物」を与えてくれます。これらの賜物は、人それぞれ異なり、歌や演奏、教える能力、他者を助ける心など、さまざまです。この賜物を通じて、私たちは神の愛を広める働きに参加できます。

聖霊の働きと注意点
私たちは、聖霊の働きが必ずしも派手な奇跡や特別な体験に限られるものではないと信じています。たとえば、異言(特別な言語で話すこと)や特定の現象を、聖霊の唯一のしるしとする考え方には慎重です。むしろ、聖霊の働きは、私たちがイエス・キリストの教えに従って生き、愛と平和を広める日常の行動に現れます。

不信者に対する聖霊の働き
聖霊は、神をまだ知らない人々にも働きかけています。聖霊は、私たちが自分の間違いや罪に気づき、より良い生き方を求めるよう促します。これは、神が私たち一人ひとりを愛し、どんな状況にある人でも新しい人生を歩むチャンスを与えたいと願っているからです。

聖霊の目的:イエス・キリストを指し示す
聖霊の最大の目的は、イエス・キリストを私たちに示すことです。聖霊は、私たちがイエスの愛と救いの真実を理解し、それを受け入れるよう導いてくれます。聖霊自身が注目されることを求めるのではなく、私たちがイエスを信じ、彼の教えに従う助けをするのです。

聖霊を知ることの意味
聖霊を知ることは、神とより深い関係を築く第一歩です。聖霊は、私たちの心に平安と喜びを与え、人生の中で直面する困難を乗り越える力を与えてくれます。また、聖霊を通じて、私たちは神の愛と計画をより深く理解することができます。

シティバプテスト教会が信じること③父なる神の人格

イエス・キリストとは
イエス・キリストはキリスト教の中心にいる人物であり、私たちはイエス・キリストを「神が人となったお方」と信じています。イエス・キリストの人生はただの歴史的な物語ではなく、私たち一人ひとりに関わる深い意味を持っています。ここでは、イエスの特別さとその役割について説明します。

特別な誕生
イエス・キリストは他のどんな人とも違う方法でこの世に来られました。聖書は、彼が処女マリアから奇跡的に生まれたと教えています。これは、彼が単なる人間ではなく、神が人間として現れた存在であることを示しています。この出来事は、彼が最初から特別な目的を持ってこの世に来られたことを象徴しています。

完全な神であり、完全な人
イエス・キリストは「完全な神」であると同時に「完全な人」でした。彼は神としての力と知恵を持ちながら、私たちと同じように空腹を覚えたり、悲しみを感じたりする存在でした。これによって、彼は私たちの苦しみや喜びを深く理解することができました。彼の人間らしさは、私たちが神に対して親しみを感じる助けとなります。

罪のない生涯
多くの人間は罪や過ちを犯しますが、イエス・キリストだけは例外でした。彼は一度も罪を犯すことなく生きられました。これが重要なのは、彼が私たちの代わりに罪を背負うために、完全に清らかである必要があったからです。彼の罪のない生涯は、私たちが神の前で罪から清められる希望をもたらします。

十字架の意味
イエス・キリストは十字架の上で死なれましたが、それは単なる処刑ではありませんでした。聖書によれば、イエス・キリストの死は私たちの罪を贖うためのものでした。私たちは誰でも間違いや罪を犯しますが、イエス・キリストはその罪の罰を代わりに受けてくださったのです。彼の死は、神と私たちを和解させるための橋となりました。

復活の力
十字架で死なれた後、イエスは三日目によみがえられました。この出来事は、死が終わりではないことを示しています。イエス・キリストの復活は、神の力と約束の成就を証明するものです。また、私たちにも永遠の命という希望をもたらします。これは、絶望の中にいる人々に新しい始まりを告げるメッセージでもあります。

天に昇り、再び来られる約束
イエス・キリストは復活後、弟子たちと会い、彼らに神の愛と救いを伝え続けるよう命じた後、天に昇られました。しかし、それで終わりではありません。イエス・キリストは再び戻ってくると約束されています。彼が再び来られるとき、この世界のすべてが新しくされ、完全な平和と正義がもたらされると信じられています。

イエス・キリストが今もしていること
イエス・キリストは、今も私たち一人ひとりのことを気にかけ、助けたいと願っています。祈りを通してイエス・キリストに語りかけることで、私たちはイエス・キリストとつながることができます。イエス・キリストは私たちの弱さを理解し、人生の困難を乗り越える力と希望を与えてくださいます。

イエス・キリストを知る意味
イエス・キリストを知ることは、人生の目的や希望を見つけることにつながります。彼の生涯は、愛、赦し、そして救いを中心に据えています。彼が私たち一人ひとりを愛し、その愛を行動で示してくださったことを知るとき、私たちの人生もまた変えられるのです。

もしイエス・キリストについてもっと知りたいと思われるなら、ぜひ聖書を読んでみてください。特に、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという福音書には、イエスの生涯や教えが詳しく記されています。また、私たちの教会では、イエス・キリストのことを一緒に学び、分かち合う場を提供しています。質問や疑問を持っておられる方も大歓迎です。

シティバプテスト教会が信じること②父なる神の人格

神とはどのようなお方か
私たちは、神がこの世界の創造者であり、すべての存在の源であると信じています。神は完全であり、永遠であり、至高のお方です。この神について理解する上で、特に「父なる神」という考え方が重要です。これは、神がどれほど私たちを愛し、気にかけてくださっているかを表しています。

三位一体とは
聖書が教えている神は、「三位一体」という独特な性質を持っています。これは、神が「父」「子(イエス・キリスト)」「聖霊」という三つの異なる存在として現れながらも、本質的には一つであることを指します。例えるなら、水が液体、氷、蒸気として異なる形をとるけれども本質は水であるように、三位一体の神も一つの神でありながら異なる形で働かれます。

父なる神の特性
父なる神は単なる力やエネルギーではありません。人格を持ったお方です。そのため、私たちは神に話しかけたり、神との関係を築いたりすることができます。以下は、父なる神の主な特性です:

①愛にあふれている
神は愛そのものであり、私たち一人ひとりを深く愛しています。この愛は私たちが失敗しても変わることがありません。

②全知である
神はすべてのことを知っています。私たちの過去、現在、未来、そして心の中の思いまでを理解しています。

③全能である
神には不可能なことがありません。この世界を創り、私たちを支え、生きる力を与えてくださいます。

④変わることがない
神はいつでも同じです。私たちが変わりやすく、不安定な時でも、神は常に信頼できる存在です。

⑤完全で聖なるお方
神は完全に正しく、清らかです。この特性により、私たちを罪や悪から守り、真実へと導いてくださいます。

父なる神と私たちの関係
父なる神は、すべての被造物の創造者であり、世界の全てを保っておられます。しかし、それだけではありません。神は、私たちと個人的な関係を持つことを願っています。聖書では、神が「父」と呼ばれる理由の一つとして、その愛が強調されています。父親が子どもを気遣い、守り、導くように、神も私たち一人ひとりを見守っておられます。

神とこの世界の違い
神はこの世界を創造されたお方なので、世界そのものとは異なります。このことを「被造物と創造主の区別」と呼びます。しかし、神は私たちから遠く離れているわけではありません。むしろ、どこにでもおられ、いつでも私たちに耳を傾け、助けてくださる存在です。

どうすれば神を知ることができるのか
父なる神は、ご自身のことを私たちに示してくださいます。この自己啓示は、主に以下の方法で行われます:

①自然を通じて
美しい景色や夜空を見て、私たちは神の存在を感じることができます。

②聖書を通じて
聖書は、神の性質や計画を私たちに教える書物です。

③イエス・キリストを通じて
神は人間としてこの世界に来られました。それがイエス・キリストです。イエスの生涯と教えは、神がどのようなお方であるかを私たちに示しています。

私たちへのメッセージ
父なる神は、私たちをただの存在として見るのではなく、大切な存在として見ています。そのため、私たちが神と良い関係を築き、永遠の命を受け取ることを望んでおられます。

シティバプテスト教会が信じること①聖書の霊感

私たちは、聖書がただの古い本や歴史的な記録ではなく、神ご自身が人類に与えた特別なメッセージだと信じています。この特別な性質を「聖書の霊感」と呼んでいます。これは、聖書が人間の知恵や想像ではなく、神が人々を通して語った言葉であるという考えを指しています。

どうやって書かれたのか
聖書は何百年もの間、多くの異なる人々によって書かれました。ある人は預言者、ある人は王、またある人は漁師や学者でした。しかし、私たちはそのすべての文章が神の導きによって書かれたと信じています。人間の著者はそれぞれの個性や語彙を用いましたが、神が彼らを導いて書く内容を選ばせたため、最終的には神の意図が完全に表現されているのです。

聖書が特別な理由
聖書の内容は、神と人間の関係について深く語っています。世界の創造から始まり、私たちがどのように神との関係を失い、そして神がその関係を回復するためにどのような計画を持っているのかが書かれています。その中心にあるのが、神の子イエス・キリストの物語です。聖書は神の愛と救いの計画を明らかにし、私たちがどのように生きるべきかを教えてくれます。

信頼できる理由
私たちは聖書に誤りがないと信じています。それは、神が完璧なお方であり、矛盾や間違いのないメッセージを私たちに伝えることができるからです。この信頼性は、歴史的な証拠や預言が実現した事実にも裏付けられています。また、聖書の教えは何千年もの間、人々の人生を変え続けてきました。

どうして重要なのか
聖書はただの教訓を与える本ではありません。私たちの人生の道しるべであり、真理そのものです。それは、私たちがどう生きるべきか、どのようにして神と良い関係を持つかを教えてくれる唯一の基準です。聖書を通して、私たちは神がどれほど私たちを愛しているかを知り、その愛に応えていく方法を学びます。

誰にでも開かれている
聖書は特定の人たちのためだけに書かれたものではありません。すべての人に向けた神からのメッセージです。どんな背景や人生経験を持つ人でも、聖書を読むことで神との関係を深めることができます。

聖書を読んでみませんか
もし興味があるなら、ぜひ聖書を手に取ってみてください。読む中でわからないことや質問が出てくるかもしれませんが、それは良いことです。一緒に聖書を学び、神がどのようなお方であるかを探求するお手伝いをしたいと思います。

「罪」を知り、神の前に正しく歩むことのすばらしさ

「罪」という言葉を聞くと、重々しい響きを感じるかもしれません。「私は悪いことなんてしていない」と思う方もいるでしょう。
しかし、聖書が語る「罪」とは、私たちが想像する以上に深い意味を持っています。そして、罪を知り、それを赦してくださる神の愛を受け入れることは、人生に驚くべき平安と喜びをもたらします。

罪とは何か?
聖書が教える「罪」とは、「神の基準に届かないこと」を意味します。
神は私たちを愛し、完全な愛と正義の中で生きるように望まれています。
しかし、私たちは日々の中で、自分勝手な思いや行動をしてしまい、神が求める姿から離れてしまうのです。

ローマ人への手紙にはこう書かれています。

「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず」(ローマ3:23)

これは、誰もが心の中に罪を持ち、それが原因で神と完全に交わることができない状態を示しています。
たとえ大きな犯罪を犯していなくても、心の中にある怒り、妬み、嘘なども、神の前では罪にあたります。

罪の結果
罪は、神との関係を壊し、私たちの心を不安や孤独で満たします。
聖書は、罪がもたらす最終的な結果についてこう警告しています。

「罪の報酬は死です」(ローマ6:23)

ここで言う「死」とは、肉体的な死だけでなく、神との永遠の分離を指します。
しかし、神は私たちを見捨てることなく、この罪の問題を解決する道を備えてくださいました。

イエス・キリストによる赦し
神は私たちを深く愛し、罪の問題を解決するためにイエス・キリストをこの世に送られました。
イエスは十字架で私たちの罪を背負い、その代価を支払うために死なれました。
そして、死を打ち破り復活されたことで、罪と死の力に勝利されたのです。

「しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(ローマ6:23)

私たちが自分の罪を認め、イエス・キリストを救い主として受け入れるとき、罪は赦され、神との関係が回復します。
この赦しは、どんなに大きな罪であっても、完全で無条件のものです。

神の前に正しく歩むことのすばらしさ
罪の赦しを受けた者には、新しい生き方が与えられます。
それは、罪に縛られた過去から解放され、神の愛と恵みの中で自由に歩む人生です。

神の前に正しく歩むとは、単に「良い行いをする」ということではありません。
それは、神を信じ、神と共に生きる喜びを持つことです。
私たちは、神の愛に応える形で、感謝と謙遜の心をもって生活するよう導かれます。

ガラテヤ人への手紙には、こう記されています。

「御霊によって歩むなら、肉の欲望を満たすことはありません」(ガラテヤ5:16)

神の前に正しく歩むとき、私たちの心には平安が訪れ、人との関係も変わり始めます。赦された者として、私たちもまた他者を赦し、愛する力を得るのです。

罪を認めることは重荷ではなく、自由への道
罪を認めることは、自分を責めるためではなく、神の愛と赦しを受け取る第一歩です。
罪を告白することで、私たちはその重荷から解放されます。ヨハネの手紙にはこうあります。

「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての不義から私たちを清めてくださいます」(Ⅰヨハネ1:9)

罪を認めるのは恥ずべきことではなく、神の愛に触れる素晴らしい機会なのです。

私たちは皆、罪を持つ存在ですが、神はそのままの私たちを愛し、赦しを与えたいと願っています。
そして、赦された私たちは、新しい希望と目的を持って生きることができます。
神の前に正しく歩むことの喜びを、一緒に体験してみませんか?
あなたを教会でお迎えできることを心からお待ちしています。

聖書の魅力を知る—4つの福音書から読み始めてみませんか

聖書に興味があるけれど、どこから始めたらいいのかわからない、そんな方も多いのではないでしょうか?私たちのシティバプテスト教会では、初心者の方でも参加しやすい聖書の学びの機会を提供しています。特に、キリスト教の核心である「4つの福音書」は、初めての方にとってもとてもわかりやすく、キリスト教の基礎を知るための絶好の入り口です。

今回は、聖書の中でも特に大切にされている「4つの福音書」について、その概要をご紹介します。これを通じて、イエス・キリストがどのような人物であり、何を教えてくれたのか、少しでも興味を持っていただければ幸いです。

1. マタイの福音書—イエスの王としての姿

「マタイの福音書」は、イエス・キリストが「ユダヤの王」であり、旧約聖書で予言されていた救い主であることを強調しています。イエスの生まれや、彼が行った教えや奇跡、また十字架の死と復活について記録されており、神の愛がすべての人に注がれていることを教えています。この福音書を通じて、私たちはイエスの生涯とその意味を深く知ることができるでしょう。

2. マルコの福音書—力強い行動者としてのイエス

「マルコの福音書」は、イエスの力強い行動に焦点を当て、彼が神の子としてどのように人々を助け、癒し、導いたかが描かれています。マルコの福音書は4つの福音書の中でも最も短く、簡潔なスタイルで書かれているため、初めて聖書に触れる方にとって読みやすい内容です。イエスの行動を通して、私たちが困難な時にも力強く支えてくださる神の姿が伝わってきます。

3. ルカの福音書—思いやり深い救い主イエス

「ルカの福音書」は、イエスがどのようにして社会の中で弱い立場にある人々に寄り添い、癒しをもたらしたかを描いています。貧しい人々や病に苦しむ人、社会から疎外されている人々に対するイエスの愛と慈しみが細かく記録されています。イエスが示す「愛と共感」の姿は、私たちにとっても生きるための大切な指針となるでしょう。

4. ヨハネの福音書—神の愛を伝えるイエス

「ヨハネの福音書」は、イエスが神の子として、神の愛をどのように伝えたかが中心テーマです。イエスは「私は道であり、真理であり、命である」と語り、私たちが神との関係を通じて永遠の命を得ることを教えています。ヨハネの福音書にはイエスが示した深い愛と信仰の意義が綴られており、そのメッセージは今を生きる私たちにも多くの気づきを与えてくれるでしょう。

聖書の学びに参加してみませんか?

この4つの福音書は、イエス・キリストがどのような人物であり、彼の教えがいかに私たちの日常や人生に影響を与えるかを深く知るための大切な扉です。

聖書の学びを通じて、競争やプレッシャーに満ちた毎日に疲れている心が癒され、より深い視点から自分自身と向き合う力が与えられるでしょう。どなたでも歓迎いたしますので、ぜひお気軽にお越しください。

聖書の学びを通じて、神の愛に触れる新しい体験をしてみませんか?教会でお待ちしております。

「社会の混乱に心が揺れるとき」ー聖書が教える平安と希望

現代社会では、日々ニュースで伝えられる出来事に不安を感じる人が少なくありません。戦争や経済の不安定さ、気候変動、社会の分断──これらは私たちの心を重くし、将来への希望を見失わせる要因となり得ます。「これからどうなってしまうのだろう」と思い悩むこともあるでしょう。

そんな時、聖書は私たちに平安と確かな希望を与えてくれる存在です。

なぜ不安を感じるのか?
不安を感じる理由は様々です。例えば、ニュースで伝えられる出来事は多くの場合、私たちがコントロールできないものです。未来がどうなるか分からないという不透明さは、心に不安をもたらします。

聖書も、このような状況を予見しています。「あなたがたは世にあっては苦難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16:33)。イエスは、私たちが世の中で苦難に直面することを認めていますが、同時にそれを超える平安を持つことができると教えています。

聖書が教える不安に打ち勝つ方法
聖書には、不安な時に心の支えとなる数多くの教えがあります。

1. 神に信頼する
社会がどれほど混乱していても、神はすべてを支配しておられます。聖書は、「神はわれらの避け所。また力。苦しむとき、そこにある強き助け」(詩篇46:1)と語ります。人間の力では解決できない問題も、神は全知全能の力で導いてくださいます。私たちが神に信頼を置く時、不安は平安に変わるのです。

2. 日々の心配を神に委ねる
「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む」(マタイ6:34)。私たちは、明日のことを心配するあまり、今日という日を見失いがちです。しかし、神は必要なものをその時々に備えてくださいます。心配を神に委ねることで、私たちは重荷を下ろし、心の平安を取り戻すことができます。

3. 永遠の希望を見つめる
世の中の出来事は一時的なものであり、永遠の視点から見るとほんの一瞬です。聖書は、「この世における軽い苦しみは、やがて現れる栄光に比べると、取るに足りない」(2コリント4:17)と教えています。この地上の混乱を超えて、神が用意している永遠の希望に目を向ける時、私たちは日々の不安を乗り越える力を得ることができます。

聖書の学びがもたらす平安
聖書の学びは、不安に満ちた時代を生き抜くための確かな支えを提供します。

1. 神の約束を知る
聖書には、神が私たちを守り、導くという約束が数多く記されています。「主はあなたを見守り、すべての災いから守られる」(詩篇121:7)。このような神の約束を知ることで、将来への漠然とした不安を希望へと変えることができます。

2. 真理を見極める力が与えられる
現代は情報が溢れ、その中から何を信じれば良いのか迷うこともあります。聖書は、「真理はあなたがたを自由にする」(ヨハネ8:32)と語ります。聖書を通じて、私たちは神の真理を知り、混乱した世の中で確かな指針を持つことができるのです。

3. 支え合うコミュニティに加わる
聖書の学びは、一人で行うものではありません。同じ信仰を持つ仲間とともに学び、祈り合うことで、不安を分かち合いながら希望を共有することができます。信仰の仲間との交わりは、孤独を癒し、心を強める大きな助けとなるでしょう。

社会が不安定な時代を生きる私たちにとって、聖書は希望と平安を与えてくれる道しるべです。神の愛と導きに触れることで、私たちはどんな混乱の中でも揺るがない信仰と心の平安を得ることができます。

ぜひ、聖書の学びを始めてみませんか?神は、あなたがどんな時でも安心して歩めるように、確かな約束と導きを与えてくださいます。