シティバプテスト教会が信じること⑦救いの無償の賜物

救いとは何か?
聖書が教える「救い」とは、罪の影響から解放され、神と和解し、永遠の命を得ることを指します。この救いは、私たちが自分の力で得るものではなく、神からの「無償の賜物(プレゼント)」です。

救いが必要な理由
聖書は、すべての人が罪を犯していると教えています。罪とは、神の基準に反すること、または神から離れた生き方のことです。たとえば、自己中心的な態度、他人を傷つける言葉や行動、不正直さなどはすべて罪の例です。この罪が原因で、私たちは心の中に虚しさや罪悪感を抱えることがあり、最終的には神から永遠に離れる結果をもたらします。

しかし、神は私たちを愛しており、私たちがこの状態に留まることを望んでおられません。そこで、神は私たちが救いを受ける方法を用意してくださいました。

救いはどのように与えられるのか?
救いは、イエス・キリストを通して与えられます。イエスは、私たちの罪の罰を代わりに背負い、十字架で死なれました。これは、私たちが自分で支払うことのできない「罪の代価」を、イエスが身代わりとなって支払ったということです。そして、イエスは三日後に復活され、死と罪に対する勝利を示されました。

イエスが成し遂げたこの救いの働きは、すべての人に提供されています。つまり、私たち一人ひとりに対して、「この救いをあなたに差し上げます」という神からの招待状が送られているようなものです。

救いは無償の賜物
救いの特別な点は、それが「無償の賜物(プレゼント)」であることです。普通の贈り物を受け取るとき、私たちは何かを支払ったり、特別な行動をしたりする必要はありません。同じように、救いも神からの純粋な愛によって与えられた贈り物であり、私たちの努力や善行で獲得するものではありません。

エペソ書2章8-9節にはこう書かれています:
「あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。」

つまり、救いは神の愛と恵みによって与えられたものであり、私たちがそのために何かを成し遂げる必要はありません。

救いを受け取るには?
無償のプレゼントでも、手を伸ばして受け取る必要があります。同じように、救いを受け取るためには、イエス・キリストを信じることが必要です。信じるとは、イエスが自分の罪のために死んでくださり、復活された救い主であると受け入れることです。

たとえば、ヨハネ3章16節ではこう語られています:
「神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

この信仰によって、私たちは神との関係を回復し、永遠の命という素晴らしい祝福を受けることができます。

救いを拒否する選択
救いはすべての人に提供されていますが、誰もがそれを受け取るわけではありません。なぜなら、一部の人々は福音(イエス・キリストの良い知らせ)を拒むからです。たとえば、「自分には救いが必要ない」「自分の力で十分に善い人生を送れる」という考えを持つ人がいます。

しかし、聖書は明確に、「罪人が救われない唯一の理由は、福音を拒むことだ」と教えています。神は私たちに自由意志を与えてくださっています。そのため、私たちは神の救いの招待に応じるかどうかを選ぶ責任があります。

救いの祝福
救いを受け取った人には、次のような素晴らしい祝福が与えられます:

①永遠の命
神と共に永遠に生きる約束が与えられます。これにより、死の恐れが取り除かれます。

②罪の赦し
過去のすべての罪が赦され、神の前で清らかな状態にされます。

③神との親しい関係
神を「父」と呼ぶことができ、人生のどんな瞬間も神の助けと導きを受けることができます。

招き
もし、あなたがこの救いの無償の賜物に興味を持たれたなら、ぜひイエス・キリストに心を開いてください。神はあなたを愛しており、あなたがこの贈り物を受け取るのを待っておられます。イエスを信じることで、人生に新しい希望と目的が与えられるでしょう。

救いの賜物を受け取ることを検討してみてください。そして、もし質問や疑問があれば、ぜひ私たちに相談してください。

コメントを残す