聖書の福音

「福音」は、英語でGood Newsと言われ、聖書から私たちへの「良い知らせ」のことを言います。

私たちの教会ではこの福音を基礎としており、この福音には人の人生を変える大きな力があります。

ぜひ皆様もこの福音に触れていただき、永遠のベストセラーである聖書が現代の私たちに何を伝えようとしているのかを知っていただければ幸いです。

 

罪がある私たち人間


■神から離れた的外れの人生があります。

人は本来、神と交わり、神の愛を受け、神の計画と調和して生きる者として創造されましたが、全ての人は神から離れ自分かってな道に進みました。それゆえに神との交わりが断たれたのです。「神など信じるものか。従うものか」という思いや、「私には関係ない」「神などいらない」という思い、すなわち神を神と認めず、神に背を向けたこの自己中心を聖書では「罪」と言っています。

「罪」を表わす聖書の言葉の元々の意味は「的外れ」ということです。 つまり「罪」とは形に現われた犯罪とか不法行為だけではなくて「本来の姿にない」ことを全て罪と言うのです。例えば、…神を神としない。人は互いに愛し合うべきなのに妬んだり憎んだり、そのような罪が私達の人生を傷つけ、神から頂いているはずの本当の祝福を失わせていることに聖書は気付かせようとしているのです。

 

■罪のゆえに神さまの下さる最善の人生を受け取ることができていないのです。

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができない。」 ローマ人への手紙3章23節

「罪から来る報酬は、死です。」 ローマ人への手紙6章23節

神の下さる最善・最高の人生を受け取ることができないどころか、罪の中で苦しみ安らぎのない的外れの人生を歩んでいるのです。その行き着くところは死であり、滅びであると聖書は教えています。しかし、そんな私たちのために救いの道が用意されています。

 

イエス・キリストが罪からの救い主です


■神の側から私達の所に来て下さった、イエス・キリスト

人間の側から届くことができないその神さまの側から、来て下さったのがイエス・キリストです。 このイエス・キリストだけが救いへの道なのです。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを 通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」ヨハネの福音書14章6節

■神様と人間との間を隔てを、十字架によって解決して下さいました。

キリストは私たちの罪を負って、私達の身代わりとして、十字架に死なれました。

それは、神がどんなに私達を愛して、救おうとしておられるかを、十字架上で苦しみ死んで下さったことで示して下さいました。

「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」 ペテロの手紙第一2章24節

「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んで くださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにして おられます。」 ローマ人への手紙5章8節

イエス・キリストが人間の罪を解決して下さるお方です。あなたも、イエス・キリストによって、罪からの解放・神の愛を頂くことができるのです !

■十字架の死と、罪と死の力を打ち破る復活によって、救いの道が開かれました。

キリストは、復活されました。そのことによって、人間を縛る罪と死を、イエス・キリストが打ち破ったことが明らかにされたのです。

「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、・・・」コリント人への手紙第一15章3~4節

この十字架と復活のみわざが、キリスト教の中心です。このみわざの事実に、私達の救い・罪の赦し・真理に基づく生き方・神と共に生きる人生・永遠の命いのち…全ての根拠が置かれているのです。

 

誰でも信じるだけで救われます


■信じるだけで救われます。

神が用意して下さったイエス・キリストの十字架と復活による救いを私達自身のものとするために、聖書が私達に求めていることは、ただ信仰—イエス・キリストは私の救い主です、と信じること—だけです。 私達は、神さまの救いの御恵みへの応答として、信仰によってキリストを受け入れればよいのです。

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、 自分自身から出たことでなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」 エペソ人への手紙2章8~9節

キリストを信仰によって受け入れるとはどういうことでしょうか。・・・今までの自己中心の生き方(つまり神さまではない方を向いて生きてきた人生)から神さまの方に方向転換し(これを「悔改め」と言います。悔い改めとは、方向転換のことです。)、神さまと共に、神さまの導いて下さる本当の人生を歩みだすと決心することです。 愛なる神さまは私たちに信仰の応答を求めているのです。

■信仰によって私達に神と共に生きる人生が実現します。

それは、聖書によれば、次のような神の御恵みが伴う人生です。

●過去・現在・未来の、全ての罪が赦されました。

●永遠のいのちが与えられました。それは、死をもって終わることがありません。

●神さまの子供とされ、愛の神さまを「天のお父さま」と呼ぶ関係になりました。

●人生において、いつも神さまが共にいて下さいます。

そして、私達の思いをはるかに越えた、最善・最高の人生を与えて下さるのです。私達は、この神に全てのことを祈り、全ての必要を頂くことができるのです。


あなたも今、信じることによって、キリストを受け入れることができます。祈りを通 して神に対する自分の信仰を表明しましょう。次のように祈ることによって、あなたも今、キリストを受け入れることができます。

「主イエス様、私はあなたを必要としています。私の罪のために十字架で死んでくださったことを感謝します。今、あなたを私の罪からの救い主、主としてお迎えいたします。私のすべての罪を赦し、永遠のいのちを与えてくださり感謝します。これからの私の人生を導いてください。アーメン。」

もっと知りたいことやご質問等ありましたら、ご遠慮なくお問い合わせください。

またぜひ、一度教会へお越し下さいませ。わかりやすく聖書のことを学ぶことができます。