シティバプテスト教会は、「首都圏の中心でイエスキリストの福音を伝える」ことを目的としてスタートしました。
東京・首都圏にお住まいの方がひとりでも多くイエス・キリストの愛を知っていただければと願っています。
シティバプテスト教会の目的
■神様を礼拝すること
わたしと共に主をほめよ。共に、御名をあがめよう。詩篇34篇3節
■神様を信じる人々との楽しいフェロシップに加わること
そこで彼の言葉を受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。 使徒2章41節
■神様のことば(聖書)により形造られること
多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。 Ⅱテモテ2章2節
■神様に喜んで奉仕を献げること
それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕えなさい。 Ⅰペテロ4章10節
■神様の愛を東京の人々に伝えること
イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、 またわたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 マタイ28章18~20節
シティバプテスト教会が信じていること
■聖書の霊感
私たちは聖書が神の言葉として逐語的に霊感を受けたものであると信じます。旧約・新約聖書の書物は神から吹き込まれ、言葉そのものも人間の著者の語彙から神が選ばれたため、聖書は神の言葉そのものであり、すべての主張と教えにおいて誤りがありません。そのため、聖書は教義と生活において唯一無謬の権威です。ゆえに、これは神から人への特別な啓示であり、真のキリスト教の唯一の基盤です。(2テモテ3:16-17; マタイ5:18; 使徒1:16; マルコ12:36; 2ペテロ1:19-21; ヘブル4:12; ヨハネ10:35; 16:12,13; 17:17)
■父なる神の人格
私たちは、神がその存在において至高であり、永遠であり、完全であると信じます。また、三位一体を信じます。すなわち、父、子、聖霊という三つの位格が神格において一つであり、それぞれが力と栄光において等しいお方です。神は人格を持ち、霊であり、全知、全能、完全、不変、永遠、聖、愛、知恵、そして力を有しています。神は世界の創造主としてこの世と絶対的に区別されますが、万物の維持者として全地に遍在しています。神は自己存在であり、被造物との関係において自己啓示されます。(創世記1:1; マタイ28:19; 申命記4:35; 6:4; 1コリント8:6; ヨハネ1:1-3; ローマ1:2-4; エペソ4:3-6)
■イエス・キリストの人格
私たちは、キリストの処女降誕、神性、罪なき生涯、贖いの十字架、肉体の復活と昇天、そして個人的かつ前千年王国的再臨を信じます。主イエス・キリストは三位一体の第二の位格であり、神が肉体をとられた存在であり、他の人と異なるかたちで処女から生まれました。彼は完全に罪なき生活を送り、十字架上で人の罪のために代償として死ぬことで罪人の代わりとなりました。イエス・キリストは三日目に死からよみがえり、贖罪の完全な成就と神の義怒の満足を保証しました。彼は肉体を持って天に昇り、聖徒を迎えに戻られます。その再臨は差し迫っており、個人的で、患難時代の前に、そして千年王国の前に起こるものとなります。(イザヤ7:14; マタイ1:18; ヨハネ1:1; 14:3; 1テサロニケ4:16; ルカ1:35; 1ペテロ2:22; 3:18)
■聖霊の人格
私たちは、聖霊が三位一体の実行者であり、神の救いの計画を実現されると信じます。キリスト者は聖霊を分かち合い、聖霊によって奉仕の力を得ます。聖霊は人格であり、神のすべての属性を備えています。聖霊は罪と義、裁きについて不信者に悟らせ、信者を再生し、封印し、内住し、満たし、奉仕のための賜物を授けます。また、信者に教え、聖なる生き方に導きます。私たちは聖書が、カリスマ運動のような経験主義的な異言やエキュメニズムの実践を聖霊の働きとして否定していると信じます。聖霊の証は自分自身ではなく、イエス・キリストとキリスト中心の贖罪の真理です。(ヨハネ14:16,17; 16:8; 1コリント3:16; 使徒5:3,4; エペソ1:13,14; ローマ8:9)
■人の堕落
人は神のかたちに創造されましたが、自らの選択によって罪と死に陥りました。そのため、すべての人は罪深く、永遠の裁きに定められています。人は神の直接の行為により神のかたちに創造されましたが、神の明示された意志に背いたため、その地位を失い、堕落しました。その結果、すべての人が本質的にも選択的にも罪深く、神の義から遠く離れています。したがって、全ての人は神の命と家族から疎外され、無実を主張することができず、神の正しい裁きと怒りを受け、救済の手段を持ちません。(創世記1:27; ローマ3:23; 5:12-19; イザヤ53:6; エペソ2:1-3)
■罪人の救い
罪人の救いは完全に恵みによるものであり、イエス・キリストが唯一の救いの道であると信じます。救いは恵みを通じて十字架でのキリストの完成された働きに基づいています。救いは神の無償の賜物であり、人のいかなる美徳や行いによっても獲得されるものではなく、主イエス・キリストに対する個人的な信仰を通じてのみ受け取られます。すべての真の信者は、永遠の命、義の状態、新生による神の家族への息子の地位という賜物を今持っています。キリストの十字架は救いであり、身代わりであり、宥めるものであり、すべての失われた人々の唯一の和解の基盤です。イエス・キリストと彼の流された血以外に救いはあり得ないと信じます。(ヨハネ3:3-6, 16; 10:28-29; 使徒16:31; エペソ2:8-10; 1テモテ2:5,6; 1ペテロ1:18-23)
■救いの無償の賜物
救いの祝福は福音によって無償で提供されており、罪人が救われない唯一の理由は、人間自身の堕落と福音の自発的な拒絶です。救いはイエス・キリストによって十字架で成し遂げられ、すべての人に無償の賜物として信仰によって受け取られます。すべての人はキリストにおける救いの賜物を受ける責任がありますが、神の御霊による福音の提示に応答する者のみが救われます。(ヨハネ1:12; 3:16; 5:24; 12:46; 使徒16:31; ローマ10:11-13)
■信者の確信
イエス・キリストを救い主として受け入れた者は永遠に確信が与えられます。この確信はイエス・キリストの完成された働きに基づいており、真の信者は神の所有物として永遠に守られます。信者の確信は状況や感情の経験や強さに依存せず、神によって受け入れられた和解の基盤を受け入れることに基づきます。(ヨハネ10:27-30; 1ヨハネ2:1-2; ローマ8:31-34, 38-39; 1コリント6:19; ヘブル2:10)
■教会
目に見える教会は、バプテスマ(洗礼)を受けた信者の集まりであり、新約聖書の原則を実践し、教義を信じ、儀式を遵守し、自律を行使します。地方教会は、信仰告白に基づいてバプテスマを受けた信者の組織体であり、二つの職(牧師と執事)を認め、自治を保ち、働き、礼拝、相互の成長、儀式の遵守、福音の世界的な宣教を目的としています。教会は旧約のイスラエルとは異なり、キリストを頭とする自律的なものです。(マタイ28:19-20; エペソ1:22,23; 使徒2:41-47; エペソ4:11-13; 1コリント12)
■天国と地獄
私たちは、救われた者の天国における永遠の祝福と、滅びた者の地獄における永遠の罰を信じます。救われた者と滅びた者の体の復活を信じ、救われた者の霊は死後すぐにキリストと共に天国に行きます。彼らの行いはキリストの裁きの座で評価され、報酬が与えられます。滅びた者の霊は死後すぐにハデスに下り、最終的に白い大きな御座の裁きで火の池に投げ込まれ、永遠の罰を受けます。(ヨハネ5:28,29; 14:2; 黙示録20:14,15; 21:4; マタイ25:46)